剣でしか守れないものもある
こんにちは。Qwertyです。
ちょっと不思議なタイトルですが…。
アニメやゲームのストーリーの中で、多大な犠牲を払ってでも世界を変革しようとするキャラクターが悪役として登場することって意外と多いですよね。純粋な悪ではなく、そのキャラクターなりの信念があって、その信念自体はそれなりに理解ができる、というパターンです。
もしかしたら、その悪役の行為が成し遂げられたら世界はよりよくなるのかもしれない。でも主人公はそれを阻止し、それが正義として描かれます。不条理な世界を変えようと突き進むキャラクターよりも、その世界を維持しようとする主人公の方が正義なのだとすると、ちょっと不思議な感じもしますよね。
なぜ彼らは「悪」なのでしょう。
彼らの取った手段が「悪」と呼ばれるにふさわしいものだったから、という理由はすぐに思いつきます。無関係な人を巻き込むテロ行為は、やはり許されるものではありません。
結果は手段を正当化しない。実際にはそうでないことも多いでしょうが、少なくとも物語の中ではそのように描かれます。
他にも理由があるとすれば、それは彼らの持つ破壊性なのでしょう。彼らの場合、往々にして世界を変えたいというその思いの根底には世界そのものへの復讐心があるように思います。自分にこんな残酷な運命を背負わせた、こんな世界は間違っている、と。もはや世界を「変えたい」というよりは「壊したい」といった方がいいのでしょう。
世界を変えたいのなら、個人的な復讐心から行動を起こしてはならない。悲しみの連鎖を断ち切らなくてはならない。
でもふと自らを顧みて「復讐」の要素はないのかと考えた時、ないと断言するのは難しいことに気づいたのです。
正直が「馬鹿正直」であるこの世界。どこまでも争いを繰り返し、出し抜き合う人間。なぜ真っ当に生きようとしているだけで様々な災いが降りかかってくるのか。こんな世界は間違っている。まさに「悪役」と同じような復讐心や破壊性が、私の中にもあるのです。
それに悩んだ時期もありました。口でどれだけ綺麗事を並べても、自身の行動が実際に他者の役に立っていたとしても、結局その根源は個人的な感情なのだと思うと、どうしても自信が持てない部分が出てきます。
そんなところに、最近、フランスの持つ破壊性という話を耳にしたのです。革命の文化、先鋭的な理論、昨今話題のデモ、もとい暴動…。
破壊性そのものは望ましいものではないでしょう。でも一方でそれが社会を変えたり、新たなものを生み出したりすることもある。そうだとすると、破壊性を持つことは必ずしも「悪」ではないのではないか。ふとそんな考えが浮かびました。
本来何かを守る時に必要なのは盾であって剣ではありません。でも、剣でしか守れないものもある。剣でしか切り開けない未来もある。剣をただの芸術品に昇華させてしまわなくてもいい。必要な時には鞘から解き放ってそれを振い、自身の望む世界へと突き進めばいい。
行き過ぎればテロのような行為につながってしまうけれど、人の体が新陳代謝をするように、既存の構造を破壊し新たなものを生み出すことも必要なのだし、破壊性は持っていて恥ずかしいものでも、捨てなければならないものでもないのではないか。
そんな風に考えられたことで、自分の中の剣、破壊性というものに一定の折り合いがつけられたように感じました。それもまた私の一部であり、私の財産なのだと思えば、なんだか自信を持って行動できそうな気がします。
ではまた(*゚▽゚)ノ