Qwertyの部屋

アコライト、時々、相談所。アヴァベルオンラインをプレイしつつ、バーチャルの世界からリアルを考えるブログ。

怪談と死の否定、エデンの園に帰る日

こんにちは。Qwertyです。

 

今回のカバオゲームズは「Kホラー」。ゲームではない、という前情報を聞いていたので、何かなと思っていたのですが、どうやら怪談を語る会のよう。夏の風物詩、ということなのでしょうが、ドキドキです((((;゚Д゚)))))))

 

…まあいつも罰ゲームがホラーなんですけどねw

 

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心なしかいつもより早めに集まるギルメン達。

これは全員で同じ椅子に座った図w 。

やはり全て重ねてもパンダが勝つようですが、一応私の羽も見えていますw

 

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語り手はカバオさんとキングさん。お二方とも実体験を元に、身の毛もよだつお話をされていました。

 

お話を聞いていて頭をよぎったのは、対抗恐怖的態度という言葉です。

 

既にホラー映画などとセットでよく語られているので、耳にしたことがある方も多いと思いますが、一応説明しますと、これは怖いものに敢えて近づくような態度のことです。

 

怪談、肝試しなど、霊的なものが関わる場合、必ず「この世ならざるものに命を奪われるかもしれない」という恐怖が付随しています。いくらお化けが出るからって、可愛いお化けが「わぁっ(///∇//)」とおどかしてくるだけなら、別の意味で人気は出ても、心霊スポットとしては扱われないでしょう。

 

安全だとわかっているから楽しめる、やっぱり私たちは安全なんだという実感が得られる、など、色々な説明を見るのですが、死を恐怖するあまり、それを打ち消す為に行なっていると考えるのが個人的には一番しっくり来るのです。

 

現代社会は闇や穢れなどを次々と排除しようとしているというのは有名な話で、暗〜い汲み取り式便所が水洗トイレに変わったことなどはよく例として使われているかと思います。

でも、いくら世界を光で満たしても、「死」そのものはどうやっても排除できません。昔から人は不老不死を目指していましたが、それは叶わぬ夢。もしかしたら、技術が進歩し、他の闇を祓えるようになればなるほど、逃れようのない死の存在が強く意識され、それを否定しようとする必死さも増しているのかもしれません。

 

ハイデガー曰く、現存在が死を前にした時、本来的な開示性が切り開かれるとのこと。それまでは「頽落」した状態にあるのですが、これは例えていうなら、モラトリアムな学生時代が永遠に続くような感覚でしょうか。

 

存在がいずれ終わることを意識した時、人は本来の存在へと開かれていくようなのですが、そもそもそれを意識しなくて済むのであれば、それに越したことはないような気もします。「ああ、このまま何も気にしないで学生を続けていられたらいいのに…(´・ω・`)」なんて思ったこと、きっとありますよね。

 

思えばこの頽落した状態、まさにエデンの園のアダムとイブの状態そのものなのではないでしょうか。ただ日々を、神が造った人間として、言われた通りに生きる。何の悩みもないのですから、理想と言えば理想です。

エデンの園を追放された際、二人は生命の木の果実を食べて不死になる権利を失ったとのことですので、このまま禁断の果実なぞ食べずにいけば、不死になっていたのでしょう。

もし人間が不死だったらハイデガーは何と言ったのかとても興味があるのですが、恐らく「固有の可能性」などというものに気づく機会は永遠にやってこなかったのではないかと思うのです。

 

結果的にアダムとイブは禁断の果実を食べて、「死への存在」になってしまいました。その子孫である我々は、死を意識せざるを得ず、現存在が開かれていくのですが、そのような「本来的な」生き方と、楽園の中に「頽落」した生き方、皆さんはどちらが幸せだと感じますか?

 

不死であれば、時間のことなど気にする必要はありません。目標は「いつか」達成すればいいのです。時間が循環せず、一方向に流れるようになってしまったことこそが、原罪への罰なのかもしれません。

 

今のところ、人間社会の全体的な流れは楽園を目指す方向にあると感じます。全ては自らの時の流れを止め、楽園で過ごしたあの頃のようになりたいがため。そんな風に感じるのです。

 

考えてみれば、バーチャルの世界はまさにそのようになっています。不老不死を手に入れ、何の義務も果たさなくても楽しくやっていけるのですから。

まさにこれ、「仮想エデンの園」と言ってもいいような気がします。これが「仮想」なのは、禁断の果実の効果でこの世界がバーチャル=偽物であると知ってしまっているからなのですが、もし完全にこの世界に没入できたなら、「楽園に戻った」ことになるのかもしれません。

 

もしかしたら近い将来、本来的と言われている生き方と永遠に頽落していられる生き方、どちらかを選べる時代が来るかもしれません。その時、私たちはどちらを選ぶのでしょうね。

 

ではまた(*゚▽゚)ノ