「飽き」と日常と非現実
こんにちは。Qwertyです。
はじめに言っておきますが、私は全然飽きていませんw
この前、「飽きた」と言っていた方がいたので、思ったことを少し書こうかと思いました。まあその方も飽きてはいなさそうでしたが…w
現実の世界には、日常と非日常があります。ケとハレなんて言われたりもしますね。
日常は、言わずもがな、ありきたりの、繰り返される毎日です。特にブログのネタにはなりませんw
非日常は、普段とは全く質の異なる時間を過ごすこと。旅行など、プラスの意味で言われることも多いですが、戦争や災害など、日常が壊れてしまった時にも当てはまります。
ゲームの世界は、基本的には非日常、それもマイナスの意味の非日常を描いています。魔王がいたり、世界の破滅が迫っていたり、そこまでではなくても何かしらの事件は起きていて、その世界の住民は日常を生きられなくなっています。私たちはその世界の救世主となり、人々に日常を取り戻すというわけです。
しかし日常が戻ると、ゲームはクリアとなり、目的がなくなってしまいます。勇者は非日常においてしか存在しませんから、日常に戻ったらただの村人。一応英雄なので、お布施だけで生活できる可能性はありますがw、恐らく何らかの仕事に就いて生活していかないといけないでしょう。
非日常を求めてゲームをしているのに、その中でまで日常を過ごさなければならなくなったら、飽きてしまいますよね。
なので、同じゲームを続けてもらおうと思ったら、新たな非日常を創り出す必要があります。魔王が復活したり、新たな犯罪組織が生まれたり、といった具合です。
でもそれだけでいいわけではありません。非日常は時々起こるから「非」日常なのであって、起こり続けたらいずれ日常に変わってしまいます。
…こう考えてみると、飽きさせないのはかなり難しそうです。ゲームを運営することって、大変そうですね…。
と、ここまではストーリーのあるゲームについて考えてみましたが、アヴァベルのようなMMORPGでは少し事情が違います。
アヴァベルにはストーリーがありません。舞台こそ非現実の世界ですが、非日常の世界というよりは、日常が非現実の世界に進展していった、と言った方がいいように感じます。
非日常の世界は、生きるだけで生きる意味になる世界。生きる目的は明確に与えられています。
対して日常の世界は、生きる意味を自分で見つけないといけない世界。平凡な日常というのは実はとても幸せなことなのですが、そう思わせてくれない理由が世の中には溢れており、ただ生きているだけでは生きる意味にならないと感じる人が多いように思います。最近は若い世代を中心に、そうでない人も増えてきているようですが。
アヴァベルの世界における「日常」、つまり地道にモンスターを狩ってレベルを上げたり、コツコツと魂晶を集めたり、といった行為も、何かしらの目的がなければ意味を成しません。時々運営さんが非日常を演出してくれますが、長く楽しむのであれば、自ら目的を作り出す必要があるでしょう。
というわけで、飽きないためには目標が必要(^ω^)
結論自体は考えるまでもない当たり前の事なのですが、現実と非現実、日常と非日常の関係って意外と面白いですよね。
ちなみに、ゲームに飽きたらどうしますか?
いつかやるかも、とそのままにしておくこともあるし、嫌になったらアンインストールするかも。
では現実に飽きたら?
アンインストールが対応するものって…
…と考えてみると、飽きの問題って意外と深刻なのかもしれません。
ではまた(*゚▽゚)ノ